あの日の黄金郷に続く名古屋

リングの上で闘う者と、それを支える者とでは、まったくの別者である。

それは決して人間の格付けだとか言う事ではないが、プロレスラーは特別な存在でなくてはならないと思うからだ。

お客さんに、『凄い!マネできない!』って思わせてこそのプロレスラー。

「あんなの、俺にだって出来るよ!」

って言われたら、

「だったらやってみな?」

そう言えるのがプロレスラー。

俺なんて、まだまだだけど、リングに上がったら、身体を張り、命を懸ける。

その覚悟がプロレスラーやと思う。

それだけ、プロレスラーは特別な存在。

少なくとも俺が考えるプロレスラー像はそうやった。

やから、我々が【El Dorado】を名乗っていた頃も、いつもは身近な選手達を、リングに上がったら、遠く手の届かない者と感じていた。

もう、2年にもなるだろうか?

El Doradoが最後に名古屋遠征をした時だ。

メインイベントのリング上では、俺の同期達が勢揃いし、熱い試合を展開していた。

その試合後、マイクを握った菅原拓也は、同じ8期生として、「リングに上がって来い!」と、リングアナの俺を呼んだ。

あんなに嬉しかった事はない。

自分にとっても尊敬の対象であった選手達に、同期の仲間として呼び込まれるなんて。

リングアナとして上がるリングとは全然、意味合いが違うのだ。

俺が8期生どころか、選手であった事すら知らないお客さんも多かったと思う。

だが、あの日の名古屋大会は、

「El Doradoとして、また名古屋に帰って来ます!」

の言葉と共に、俺の中に深く深く刻まれたのだ。

その後、El Doradoの活動休止が発表された時、俺の中には、常にあの日の名古屋の約束と、菅原拓也の事が引っ掛かっていた。

今はもう見る事も出来なくなった、El Doradoのblogにも最後に書いたが、
『El Doradoの最後に、菅原拓也をEl Doradoの仲間として終わらせたかった』
という正直な気持ちだ。

そのblogを見た菅原拓也から、俺にメールが送られて来た。

その時、俺達は『いつの日かまた同じリングで逢おう』と約束した。

それから時は流れ、お互いの状況は目まぐるしく変わってきた。

だが、SECRET BASEで名古屋大会が決まった時、それでも真っ先に俺の口から出た名前は菅原拓也だった。

応じてくれてありがとう。

El Doradoではないけれど、少しでも名古屋のお客さん達に約束を果たせたならば、こんなに嬉しい事はない。

今の俺が、彼に十分に応えられるかは解らないが、今、俺の持ちうる、ありのままの総てをもって、ぶつかって行こうと思う。

『今、俺はSECRET BASEという場所で、こうやって生きているぞ』と。

それが菅原拓也の目に、身体にどう写るかは解らないが、再びSECRET BASEに上がってくれる気になってくれたらイイな。

最後に、スガ、俺の部屋には今も、メキシコで一緒に試合してた頃の対戦カードが貼ってるよ。

他にも懐かしい名前が載ってるのが解る?

しがらみなんかなく、ただただプロレスが楽しかったあの頃のように、思いきりぶつかろう!

楽しみにしてるのは、きっと俺達だけではないと思うよ。

では、名古屋にて待っています。

小川内 潤

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